Photo artist Tobikata hisashi profile

(フォトアーティスト 飛形久志 プロフィール)
名    前  飛形 久志(とびかた ひさし
現 住 所  大阪府堺
出 生 地  福岡県八女市 ・・ 穏やかな時間が流れている土地。お茶、タケノコ、キーウィや電照菊の里です
生年月日  1956年5月25日
素    性  会社員 / 通信教育部美術科写真コース
嗜    好  
 旅(旅行じゃない!)
     ・・・旅は『人』に会いに行く、旅行は『風景』に会いに行くものだと決めつけています
 写真(写真で表現するアート)
     ・・・庭先でも旅先でも 様々なモノが被写体になってくれます
        最近では 空気の動きや音が被写体になってくれないかと模索中です

好きな都市  
 アデレード・パース(オーストラリア)
 ウェリントン・ケリケリ・クライストチャーチ(ニュージーランド)

 バンクーバー(カナダ)
 
カントー・ホーチミン(ベトナム)
 内モンゴル自治区・チベット自治区(中国)
 
行 っ た 国・地域  
 オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・アメリカ・ハワイ・グアム・サイパン
 ドイツ・フランス・イギリス・スイス・イタリア・オーストリア・リヒテンシュタイン
 シンガポール
・マレーシア・中国・香港・ベトナム・・・


学び舎  宮崎大学 農学部 1979年(昭和54年)3月 卒業 
 造形芸術大学 美術科通信教育部写真コース 2016年(平成28年)4月 入学

写真についての思い U-1

(2017年3月)
 
 初めてカメラを手にしたのは15歳 高校生だったのか明確な記憶はない

 撮影の意図などなく 近所を走る蒸気機関車の撮影に頻繁に出かけた
 もちろん高価な一眼レフを手に入れることは不可能
 玩具店で探した数千円のおもちゃのカメラでの撮影だった。
 撮り始めてしばらくはモノクロ でも結構きれいに撮れた
 モノクロだったがゆえに惹かれたのが ススだらけの蒸気機関車。
 撮り続けるうちに 自分なりの構図を作り上げることができたのだと思う。
 写真の 写真撮影の原点がまさにその場所 その空間に存在した
 ていねいにシャッターを切る感覚とフィルムを巻き上げる感覚が指先に残っている。
 一枚一枚丁寧に いつまでも当時の気持ちは忘れずにシャッターを切り続けたい


写真についての思い T-3

(2016年2月)

 写真撮影にはそれなりの自信がありますが 所詮 自己流。
 ただただ 思いのままに 思いの時に撮ってきたに過ぎません。

 今年 還暦を迎えるにあたり 芸大の学生になることを決意しました。
 とは言え 仕事を持ったままなので 通信教育です。
 完全通信教育は学費が安く抑えられるのですが スクーリングありにしました。
 学生生活を 心置きなく楽しみたいとの心持ちです。

 3年次編入 3年間で卒業しようとの思いですが、
 何かをつかみ取るまでは在籍します。
 45年の写真歴と 今回の芸大での学びが 
 自分の写真に 何らかの 化学反応を起こしてくれるはずです

 
写真についての思い T-2

(2013年7月)

 『プロ並ですね』 とか 『プロみたいですね』 と写真を見た方によく言って頂く。

 恐らく、ホメ言葉なのだろうが、嬉しくもないし、喜ぶこともない。
 撮影は趣味でやっていて、撮影や写真を収入源としているのではない。
 そもそも、異なる文化を同じ尺度で測ることはできないのと同じだと思う。

 アマの写真家は、好きな時に 好きな場所におもむき 好きな時間をかけて 好きな光景を切り取る。
 自由に 十分な時間をかけて撮影するのだから、プロ以上の写真を撮ってあたりまえだし、
 プロ以上の写真を撮らなくてはならないと思う。

写真についての思い T-1

 (2009年10月)
 
 初めてカメラを手にして、あと少しで 40年になります。
 撮り始めた頃は、安物のカメラにモノクロのフィルム。 
 なのにその頃の写真には、あたたかさとかぬくもりが込められていたような気がします。
 現像、プリントまでの2、3日の時間は待ち遠しくもあり、楽しみでもありました。

 近年、デジタルの一眼レフが普及、メディアも大きくなり気にすることなくシャッターを切れる。
 そして、誰もが鮮明な写真を撮れるようになったのですが、冷たい写真に思われてなりません。
 『写真は機材ありき』 と言う声も最近良く聞きます。
 でも、カメラは道具であって、撮るのは アナタ ではないのでしょうか?
 カメラが勝手にピントを合わせてくれての写真は寂し過ぎます。
 撮影者の気持や意図を伝えられない写真は、どうも写真じゃないようにも思います。

 今はそれなりの機材を使ってはいますが、高級なカメラもレンズも必要ない。
 気持ちをこめて、自分なりの構図でシャッターを切ればいい。
 少々のピン甘、ブレもそれはそれで味わいがあるように思います。

 カメラマンと呼ばれるのが嫌で、写真家と呼ばれるのをめざした時期もあったけれど
 今は、アーティストを目標に シャッターを切ろうと心掛ける今日この頃です。

 一枚でも多く、多くの人の印象に残る写真が撮れれば最高です。



東北への思い 4
(2016年2月)
 
 東日本大震災から5年の年月が過ぎた
 あれほどの日本を震わせるほどの大地震と巨大津波
 時が経つにつれて人々の記憶から遠ざかっていくのが空しい

 初めて被災地を訪ねた暑い日を振り返ってみた
 最初の被災地への訪問は石巻市 地元の女性が案内してくれた
 打ち上げられた数多くの漁船が放置され  強烈な腐敗臭が漂う海沿いの街を歩いた

 原形をとどめないほどに被災した無数の建物
 人々の営みが消えたを街並み撮影することに 強い罪悪感をおぼえたことがよみがえる

 出会った人がみな口にしたのは 「この三陸の現状多くの人に伝えて下さい」
 「ありのままの被災地の様子をみんなにわかって欲しい」

 震災後のこの5年間たびたび東北を訪問し 撮影した写真は1万枚を超えた

 今 思うこと そして 忘れてはならないこと
 被災地の復興には まだ 数十年の時が必要である
 一人の日本人として 東日本大震災と 被災地を忘れることがあってはならない

東北への思い 3
(2012年5月)

 2011年3月11日、一瞬にして多くの人達の日常を奪い去ってしまった東日本大震災。
 復興までの道のりは数十年にわたると思われます。

 被災地への励ましの気持ちと忘れてはならない思いを込めて、この写真展を開催します。
 東日本大震災としっかり向き合い、被災地から目をそらさないで、
 これからも自分にできる範囲で関わっていきたいと思います。

 この写真展が被災地に元気を与えたり役に立つことはないかも知れませんが、
 わずかでも同じ思いと時間を共有できれば‥と思います。

 今回、多くの方の応援と協力を得て、震災前、震災後の三陸海岸の写真を展示します。
 この写真展を見て頂いた方に東日本大震災への思いを何かしら抱いて頂ければ幸いです。

東北への思い 2
(2011年8月)

 “深く心の奥に焼きついた一枚の写真がある。
 瓦礫に埋もれた身体、手首だけが地表に見えていた。
 その手を強く握りしめて泣きつくす女性の姿”


 3月からの被災地への思いに我慢できず、8月、盆休みを利用して被災された方に会いに行きました。 

 東日本大震災、切り取られた風景は幾度となくテレビや雑誌で見ていたのですが、
 現地に立って、切り取られていない光景を見て、ただ無言で佇んでしまいました。

 『復興』なんて安っぽい言葉はまだ早過ぎる。震災から5ヶ月が過ぎてもなお震災直後と同じ瓦礫の山。
 民主党とか自民党とか、政権争いしている場合ではない。
 そんな無駄な時間は捨て去って本気になって取り組んでいかないと、本当の復興などありえない。
 自治体そのものが被災している今、自治体には限界があります。
 国が本気になって取り組まないと本当の復興などありえない。

 大切な家族、友人、家、仕事、街・・・を亡くしたにもかかわらず、笑顔で生活を続けている多くの人。
 いまだに行方が知れない人を探し続けている人、それらの多くの人たちを支えるのは日本人なのです。
 
 大震災で被災された石巻や釜石、南三陸町で出会った皆さんが言われてました。
 
 『一人でも多くの人にこの惨状を知らせて下さい、そして忘れないで下さい。
  私達は頑張っていますよ』と。

東北への思い
(2011年7月)
 
 2011年3月11日。
 この日を強く心に刻み付けておかなくてはならないと思う。

 東北・関東を襲った巨大地震と想像を
絶する津波。
 東日本大震災により 
甚大な被害に遭い、家族に会えない、帰る家がない 帰る町もない人達が
 いまだに数多くおられます。
 あの日出会った人達が被災され 不自由な生活を強いられている。
 テレビを見るたびに心が痛みます。合わせて起こった原発事故、
 一日も早く被災されたすべての人達に支援の手が行き届くことを願ってやみません

 幾度となく訪れた東北 親切に話しかけてくれた人達、青森・秋田・岩手・山形・宮城・福島。
 ことのほか最近訪れた三陸海岸で出会った人達と風景に思いをはせながら、
 ほんの少しでも力になれればと思います。
 今はただ、一日も早い復興を願うばかりです。
 
 この夏、宮城・岩手を歩いてきます。



野鳥写真とマナー
(2009年11月)

 野鳥写真を撮り始めて、10年を越えました。
 それぞれの季節の中で、野鳥写真を撮るようにと自分なりのテーマを決めて撮影をしています。
 とは言っても、思い通りの写真が撮れることはほとんどありません。
 お気に入りの写真と言えば、08年度に1枚、09年度は2枚しかないのです。
 どれだけの時間を浪費していることか・・・。飽きもせずに、良く出かけるものだと感心してしまいます。

 最近つくづく思うのですが、『写真』と呼べる野鳥撮影は本当に難しいと。
 これからも、マイペースで他人に左右されず思いの写真を撮っていこうと思います。
 『写真』と呼べる野鳥写真を年に1枚でも撮りたいと、強く思います。

 それにしても、3,4年から マナーの良くないカメラマンが増えました。
 人の前に入り込む人、大声を上げる人、手持ちで走り回る人、詳細な撮影場所を公開する人・・・、
 まわりの人に対しての気配り、野鳥に対しての気配り、自然への気配りのできない人が
 増えてきたようで、寂しい思いをしています。
 自分だけが良かったらそれでいいのか、強い疑念を抱いてしまいます。

 マナーを自覚して、野鳥と自然に優しい野鳥撮影を心掛けていこうと強く課していこうと思います。


写真集
(2017年10月)
 『DEEP INSIDE』 写真集・・・私たちの周辺に溢れる光に焦点をあてた写真の数々を掲載しました。              
写真集
(2014年3月11日)
 『東日本大震災の記憶』 写真集・・・震災後 幾度となく現地に足を運び撮り収めた写真の数々
                       この写真集は自分自身の記録であり自分自身の記憶です。

写真展
(個 展)
2017年10月  Deep inside』写真展 東京都千代田区
2012年 9月  『京都・大阪の野鳥』写真展 大阪府東大阪市
2012年 5月  『被災地からのメッセージ写真展 大阪市北区
2011年 4月  『安らぎの瞬間(とき)』写真展 大阪市北区
2008年 7月  『四季の翡翠(カワセミ)』写真展 大阪市天王寺区
写真展
(グループ展)
2018年11月  『はじまりのまじわり』写真展 京都市 京都写真美術館
2018年4月  『上司と部下』写真展(二人展) 大阪市中央区

公募展 2019年11月  第73回堺市展 入選
2019年 5月  日本写真家協会(JPS)公募展 奨励賞受賞
2018年11月  日本写真作家協会(JPA)公募展 銅賞受賞
2018年11月  第72回堺市展 『佳作』受賞
2017年11月  第71回堺市展 『奨励賞』受賞
2016年11月  第70回堺市展 入選
2015年11月  第69回堺市展 『佳作』受賞
2014年11月  第68回堺市展 入選
2012年11月  第66回堺市展 『堺東ロータリークラブ賞』受賞
2011年11月  第65回堺市展 入選
2010年11月  第63回堺市展 入選
2008年11月  第62回堺市展 入選

合 同 展 2019年 8月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(50名の合同展)
2018年 4月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(55名の合同展)
2017年 4月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(55名の合同展)
2016年 4月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(56名の合同展)
2015年 6月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(50名の合同展)
2014年 5月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(50名の合同展)
2013年 5月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(45名の合同展)
2012年 5月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(43名の合同展)
2011年11月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(51名の合同展)
2011年 1月  『大泉緑地周辺の野鳥たち』 写真展開催(44名の合同展)
2009年 9月  『大泉緑地の野鳥たち』 写真展開催 (38名の合同展) 


出   品 2017年10月  『THE TOKYO ART BOOK FAIR』 に出品
2011年 4月  『言の葉写真展』
2010年12月  『第1回ネイチャーフォト写真展』

機  材  
 機材について聞かれることがあるのですが、カメラ・レンズは特にこだわってはいません。
 自分に無理のない重さ、価格の機材で充分だと思います。
 しっかりとファインダーをのぞき、自分の目で被写体をとらえ、
 カメラ・レンズを最大限に活用し、気持ちを込めて撮る
    ・・・ それが私の機材です。


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